ドイツ留学時代の話し【3】「帝王 カラヤン」

雑感

今回も、私が留学していたアウグスブルグのオーケストラの話しをさせて頂きます。
ドイツでは、大抵の町に歌劇場があります。そして、その歌劇場専属のオーケストラがあります。
歌劇場のオーケストラは、そのほとんどが国立または市立で いわゆる公立の団体です。
ですから、オーケストラの奏者は公務員の場合がほとんどです。とても、安定した職業と言えるでしょう。社会的にも音楽家は一目おかれる存在だったようで、私の様な東洋人でも丸腰でプラプラ歩いている時と、ヴァイオリンのケースを持っている時では 周りの見る目が違っていた感じがします。
ドイツのオーケストラは、ランクがAからD迄あって給料も違います。このクラス分けは、オーケストラメンバーの人数によって決められていて、やはり大都市ほど人数が多いようです。
ベルリンフィルやバイエルン放送交響楽団などの有名なオーケストラはAランクより更に上の特Aという扱いで、やはり別格のオーケストラなのです。

さて、アウグスブルグのオーケストラですがここはBランクのオーケストラでした。しかしながら、ここはあのヘルベルト・フォン・カラヤンが若い時指揮活動を始めた最初の歌劇場オーケストラとして知られています。
ここの団員は、その事がとても自慢の様で「カラヤンは俺たちが育ててやったんだ」などとよく言ってましたが、私は「でもあなたではないでしょ!」といつも思っていました。
カラヤンは、ご存じの通りその後 歴史に残る大指揮者として人生を全うしました。彼が亡くなった時の通信社の電文が、Der Koenig ist tot(デア ケーニッヒ イスト トート)[王が死んだ] と言うもので、たったこれだけの文で誰しもがカラヤンが亡くなった事を理解出来たのですから、凄いという他はないと思います。
このアウグスブルグのオーケストラで私は、常トラ(*)として演奏することになるのですが その話はまた次回にさせて頂きます。

(*)常トラ=オーケストラは団員がお休みを取る時や編成が大きな時など奏者が足りない時に、演奏会ごとに臨時でフリーの奏者などを雇います。それをエキストラと呼びます。トラとはエキストラの略で、常トラとは常に呼ばれるエキストラのことです。

「写真提供T.Otsuka」

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