ドイツ留学時代の話し【2】「イザベレ・ファウスト」

雑感

今回も、ドイツ留学時代の音楽関係の話しをさせて頂きたいと思います。
私が暮らしていたアウグスブルグの街は、あの大作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのお父さん、レオポルド・モーツァルトが生まれた所として知られています。町の中には、彼の生家が残っていてモーツァルトハウス(父)として観光名所になっていますが、オーストリアのザルツブルグにある息子のモーツァルトハウスの方が遥かに有名ではあります。
私が通っていた音楽学校はこのお父さんの名前を冠したレオポルド・モーツァルト・コンセルバトリウムというところです。そして、ここの初代校長は何とレオポルド・モーツァルト本人だったというから驚きです。

私がこの学校に通っていて一番印象深かった事は、在学中にここで第1回のレオポルド・モーツァルト国際ヴァイオリンコンクールが行われた事でした。
私の先生だったエルネ・セバスチェンも審査員として列席する中で、審査員長は大ヴァイオリ二ストのヨセフ・スークでした。
コンクールでは、知り合いの日本人なども出場していましたが、別格に上手な13.4歳ぐらいの女の子がいました。一次予選のパガニーニのキャプリスから次元の違う演奏で他を全く寄せ付けずに優勝しました。
彼女こそ、ドイツの名ヴァイオリ二ストの一人、イザベレ・ファウストだったのです。
優勝記念演奏会でのブラームスのソナタ第3番は聴いた事がない様な素晴らしい演奏でした。後に、アウグスブルグのオーケストラの定期演奏会に登場してドボルザークの協奏曲を演奏した時も、格調高い名演でした。ちなみにこの時私は、オーケストラの末席でエキストラとして伴奏していました。

数年前そのイザベレ・ファウストが札幌交響楽団の定期演奏会のソリストとして登場したのには、本当に驚きました。あれから30年以上経って、私は再びオーケストラで今度は団員として彼女の伴奏をしていたのです。
長くなってしまいましたので、続きはまた次回にさせて頂きます。

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